人は自分の目に見えるモノ、感じるモノが「現実」だと思っている。

 

世の中の全て

 

世界の全て・・・

 

あなたはどうだろう?

 

あなたの普段の生活、仕事、家庭・・・

 

そこで繰り広げられるいつもの日常。

 

  • 目に見える周りの風景
  • 嗅覚を刺激する普段の生活から発せられる匂い
  • 大好きな食べ物の味
  • 肌で感じる感覚
  • 耳に入る情報

 

そう。あなたが毎日認識している世界。

 

なんら変化のない日常生活を送るあなたにとって、

 

それが「普通」

 

それが「あたりまえ」

 

それが「日常」

 

・・・そう思っているのではないか?

 

毎日、同じ刺激を五感で認識する「居心地が良い」世界。

 

それが世の中の「全て」だと。

 

だから、仕事でも家庭でもお金でも何らかのトラブルが発生すると、人は「悩み」を抱える。

 

なぜ、悩むのか?

 

それは、あなたが認識している「居心地が良い」」世界では判断ができない出来事が起こっているから。 違う世界感の出来事があなたの世界観に入り込む。 居心地が良い世界、安定した世界、平常心でいられる世界。 「あなた」という人格を形成している世界。

 

その世界観を脅かす出来事が今まさに起こっている。

 

あなたの「居心地が良い」世界に変化が起こる。

 

だから、人は「悩む」のだ。

 

なぜなら、人は「変化」を嫌う動物だから。 出来ることなら、面倒な事は避けたい。 苦しい思いをしたくない。

 

何気ない日常に突然舞い込んだ変化の風。

 

嵐が起きそうな予感。

 

そんな「変化」をあなたは嫌う。

 

あなた自身も嫌うが、もっと変化を嫌う所がある。

 

それは・・・

 

あなたの「脳」だ。

 

あなたの「脳」が「変化」を嫌うのだ。 「脳」はメンドクサイ事が大嫌い。手を抜ける所があればすぐに省エネモードに切り替える。 最低限の事しかやりたくない。そんな器官だ。

 

例えば、「クリティカルエイジ」という言葉を聞いたことはあるだろうか?

 

広義の意味では学習限界年齢の事。狭義の意味では、語学関係の話題でよく引き合いに出される。

 

言語においては、「多言語を聞き分ける能力」の事をいう。

 

生まれたばかりの赤ん坊は、全ての言葉の「音」を聞き分けられると言われている。

 

日本人だけでなく、アメリカ人でも中国人でもフランス人でもアフリカ人でも世界中で話されている言語の音を全て聞き分けられるのだ。

 

それが、年齢を重ねることにより、段々と聞き分けられる聴覚の範囲が狭くなり、最後は日常的に使う言語しか聞き分けられなくなる。

 

その年齢のボーダーラインが、8歳~13歳と言われている。

 

だから、昔から母国語以外の言語を習得するには「子供の頃の方がイイ」と言われている理由の一つだ。

 

例えば、日本語と英語では発せられる音の周波数が違う。

 

日本語よりも英語の方が高音の周波数を使い分けている。

 

つまり、英語で使う音のレンジの幅が日本語よりも広いのだ。

 

だから、クリティカルエイジを過ぎた人が英語を習得しようとしてもネイティブスピーカーの話す音を聞き分ける事ができない。 日本人が日本語を使う音のレンジで英語の音を聞いてしまうからだ。

 

対して、アメリカ人などの英語圏の人は、日本語をすぐに聞き分けられる。 比較的早く日本語を話す事ができる様になる。

 

なぜなら、英語よりも日本語の音のレンジが狭いから聞き分けるのに苦労はいらない。

 

しかし、日本語は英語と語順が逆だ。 あと、ひらがな、カタカナ、漢字と使い分けしないといけない。

 

この2つに手を焼くのだが、ヒヤリングに関しては、日本語の音はすぐに聞き分けできるので、日常会話がすぐにできるようになるのだ。

 

同じアジア圏の中国人の方は、すぐに英語を話せるようになる。

 

なぜなら、中国語と英語が使う音の周波数のレンジがほぼ同じだから。

 

そして、語順も同じ。 だから、中国人が英語を習得するの比較的容易な理由がココにある。

 

つまり、「脳」は、全ての音を聞き分ける能力があるのに、ある期間が過ぎると「どうせ一生使わないよね?」と判断してシャットダウンしてしまうのだ。

 

あなたが普段使う言語は「日本語」だ。

 

あなたは、「日本語」が聞き分けれる周波数帯の音だけ使えれば何不自由なく生活できる。 使う必要がないものをそのままにしておくのは、「脳」としてはしんどい。だから使わない音のレンジを閉じてしまうのだ。

 

なぜ、「脳」はそういう動きをするのか?

 

それは、「生命の危機」を避けるため。 あなたを生存させるために余力を残しておく必要がある。

 

いつ何時あなたに生命の危機が起こるかもしれないからだ。 生命の危機と言えば、よく言われる「火事場の馬鹿力」。

 

火事になり、気づいた時には家の中は火の海だ。

 

燃え盛る炎を物ともせず、両脇に二人の子供を抱えて外に飛び出す身長145センチの小柄な母親。

 

大切な通帳や現金が入っている大きな金庫を抱えて命からがら外に逃げだす腰の曲がったおじいさん。

 

普段では絶対にできない事をやってしまう能力。

 

それが、「火事場の馬鹿力」だ。

 

本当はできるのに日常生活ではやらない能力。 「脳」はかなり厳しめのラインを引いてその能力を押さえ込んでいる。

 

日常生活を不自由なく送れる程度にセーブしているのだ。

 

なぜなら、「脳」にとって、それが一番「楽」だからだ。

 

そんな、能力があるとも知らずに、自分の能力はこれ位だろうと思って生活を送っている「あなた」。

 

「脳」だけでなく、あなた自身の「心」も自分で自分の限界を値踏みしてしまっている。

 

「火事場の馬鹿力」を発揮すればとんでもない能力が発揮できるのにだ。

 

そして、自分の限界を勝手にこれ位だと線引きしてしまう。

 

なぜ、線引きしてしまうのか?

 

それは、あなたが今まで味わった数々の失敗や挫折を何度も経験してきたから。

 

その事を・・・

 

  • 思い出すだけでズーンと落ち込む黒歴史。
  • 思い出すと穴があったら入りたいほどの恥ずかしい失態。
  • 思い出すと思わず「あーっ!」と大声を出したくなる衝動にかられる過ち。

 

・・・今まで、何度も、何度も、何度も、あなたは味わった。 頑張っても、頑張っても、頑張っても、あなたの手に届かなかった成功。

 

そんな、失敗の連続があなたの限界を作ってしまっている。

 

ところで、あなたは「蚤の話」を聞いたことはあるだろうか?

 

蚤は自分の体長よりも何十倍のジャンプ力がある虫だ。

 

その蚤に透明のコップを上からかぶせる。

 

コップの中の蚤は普段と同じ様にピョンピョン飛び跳ねる。

 

飛び跳ねる度に、コップのの底に頭をぶつける。

 

何度もコップに頭をぶつける蚤に痛覚があるのか知らないが、何度も飛び跳ねているうちにコップの底に当たらない程度しかジャンプをしなくなるのだ。

 

そして、その蚤はかぶせられたコップを外してもそれ以上は飛ばなくなる。

 

その蚤は高くジャンプすると「痛い」と思っているから・・・

 

今のあなたが自分で自分の限界を感じているのは、この蚤と同じだ。

 

本当はものすごい能力やポテンシャルを秘めているのにその事実に気づかない。

 

この話を読んで、あなたはどう感じる?

 

きっと、あなたはこう思う。

 

そもそも、自分にどんな能力があるのか分からないし、今の生活に不自由は感じてないから別にどうでもいいんじゃない?

 

・・・でも、あなたは私のブログにたどり着き、この記事を読んでいる。

 

なぜ、こんな場末のブログの記事を読んでいる?

 

あなたは気づきつつあるのではないか?

 

あなたの現状を変えなければいけないと薄々感づいているのでは?

 

このままの生活だとヤバいと。

 

これからの「あなた」の人生が危機にされされるのではないかと感じている。

 

そうなのだ、あなたは感じている。

 

心の中の「あなた」が囁いているのだ。

 

変わらなくてはいけないと・・・

 

だから、私のブログの記事を読んでいるのだ。

 

 

もう一つ話しをしよう。

 

最初に話したあなたにとっての「居心地が良い」世界の話だ。

 

あなたが今生活を送っているこの世界。

 

それは、あなたが生まれてから今までに「選択と決断」をした結果の世界だ。

 

「おぎゃー」と声を上げて生まれた瞬間から人は1人の「人」として扱われる。

 

刑法では少し違うが、民法上の人の定義は、自然人たる「人」は出生の時となる。

 

生まれた時にあなたは親を選べない。

 

いや実際には、生まれてくる前に天国の門番に「修行の為にこの親の所に生まれる」と告げて生まれてくるのかも知れないが・・・

 

とは言え、あなたはこの時代に「人」として生まれた。

 

ここからが、あなたの「選択と決断」が始まる。

 

生まれてハイハイが出来るようになり、1人立ちする様になると興味がある所へトコトコ歩いていく。

 

あなたが、母親にべったりだったのか、自分でどこにでも行ってしまう子だったのかは知らない。

 

体が弱くて病気がちな子だったのか元気モリモリの子だったのかも知らない。

 

ただ、どんな状況であれ「あなた」自身がその環境の中で毎日「選択と決断」をしていたのは事実だ。

 

そして、保育園や幼稚園に上がり、同じ年齢の子達が1つの限られた空間の中で一日を過ごす。

 

保育園や幼稚園には、自分とは全く違う子ばかりだ。

 

その中で様々な出来事を体験しその都度、あなたは「選択と決断」する。

 

友達のマサオ君が好き。タロウ君は嫌い。 マサオ君は優しくしてくれるけど、タロウ君には意地悪されてばかりいるから・・・

 

自分は絵を描くのが好きだけど、タケシ君は運動が得意など、日々の生活の中で沢山の情報を処理し、あなたは「選択と決断」していく。

 

そして、自分のポジションを見定めるのだ。

 

小学生、中学生、高校でも同じだ。

 

どの部活に入るとか、サユリちゃんの事が好きとか、お気に入りのアイドルがいるとか、ゲリー・ムーアの「パリの散歩道」は名曲だぜとか、マイケルシェンカーの泣きのチョーキングは最高!とか、それもこれも全てあなたの「選択と決断」の結果だ。

 

どんな部活に入る?

 

サッカー、野球、バトミントン、テニス、吹奏楽、美術、茶道、合唱などなど。

 

どんな音楽がお気に入り?

 

ハードロック最高!パンクはカッコいい、モータウンは渋いぜ!、アイドルの子はなんであんなに可愛いんだぁ~などなど。

 

どんな楽器が好き?

 

エレキギター大好き!ストラトは音が細いけどボディシェイプはエロいぜ!レスポールは重いから肩が凝るでもハムバッカーの音が好きなどなど。

 

たとえ、サユリちゃんに告白をして振られても、告白出来ずに卒業しても、

 

全てあなたは「選択と決断」をしている

 

そうやって、月日が流れ「選択と決断」を下してきた「あなた」は大人になる。 他の友達も皆一緒だ。それが個性になる。

 

そして、就職を迎える。一人の社会人として。ここからは長い道のりだ。

 

会社で働いても日々の業務中で様々な「選択と決断」を行う。

 

休憩時間での同僚たちとのたわいのない会話でもあなたは「選択と決断」を行う。 休憩時間一杯になるまで同僚と会話をするのか、それとも30分は昼寝をするのかなど些細な事でも・・・

 

唯一、社会人になると、学生の時とは違う事がある。

 

それは「給料」だ。

 

働けば給料がもらえる。そして年に2回のボーナスも。

 

そして休みの日はお金を使って遊ぶ事も可能だ。

 

友達と河原でワイワイしながらバーベキューを楽しんだり、大好きな女の子とドライブデートしてドキドキしたり、映画館でマッタリと映画三昧の時間を過ごしたり、ライブハウスを借り切ってギグを楽しんだりと、お金があることで出来る行動範囲も広がっていく。

 

こんな楽しい事はない。楽しくてワクワクしている自分がいる。それもあなたの「選択と決断」の結果だ。

 

会社に行きさえすれば、毎月決まった日に銀行口座にお金が振り込まれる。そして週末は楽しい事をして過ごす。

 

月曜日から金曜日まで、朝から晩まで会社に行って仕事をする。 1か月仕事をすれば、決まった日に給料があなたの口座に振り込まれる。 お金が入ったら好きな事ができる。

 

そう、就職したあなたは、会社に1か月間仕事をすれば月に1回ご褒美の給料がもらえるのだ。

 

だから、次の月も仕事をする。その次の月も。 仕事をすれば、またご褒美がもらえるから・・・

 

毎日がその繰り返し・・・

 

心理学でいう、「アンダーマイニング効果」だ。

 

その生活をあなたは何年、何十年と繰り返し、繰り返し行動しあなたの「脳」に刷り込ませていく。

 

あなた自身も気づかないうちに・・・

 

この生活スタイルが1番イイのだと。

 

あなたが「選択と決断」した結果である。

 

さらに、あなたは、社会人として周りから認められる。フリーターでもバイトでもない「社員」として会社で働く。その優越感。

 

「社員」で働けば、きっと、彼女のお父さんも結婚を許してくれるかもしれない。なんせ「社員」で働いているから・・・

 

マズローの唱える、第4段階の「承認欲求」を満たしてくれる。

 

サラリーマン最高!!

 

あなたは、ここから会社人間になる。会社に行く事が当たり前の「日常」になるのだ。

 

例えば、あなたが高校を卒業して、会社に入社しサラリーマン生活を始める。

 

高校卒業の時の年齢は18歳。

 

28歳で10年。

 

38歳で20年。

 

48歳で30年。

 

58歳で40年。

 

あなたは、高校を卒業してから入社した会社に勤めていればこれだけの長い年月、働くことになる。

 

38歳で勤続20年という事は、あなたが生まれてから高校を卒業する年齢よりも長く会社で仕事していることになる。

 

あなたが生まれて高校を卒業するまでに過ごした人生よりも長い人生だ。

 

だから、あなたの生活は、「会社中心の生活」になる。

 

どんな事があっても会社に行かなくてはいけない。 多少熱があっても膝が痛くても決まった時間に出社しないといけない。 雨の日も風の日も、台風が来たって出社しないといけない。 上司とのゴルフの付き合いや飲み会の誘いにも絶対参加しないといけない。

 

なぜなら、あなたは、会社員だから。

 

それがサラリーマンだからだ。

 

そんな会社中心の生活を送っていても、あなたは居心地が良いと感じている。

 

なぜ、居心地が良いと感じるのか?

 

それは、長年積み上げてきたあなたの生活スタイル「会社で働く」事が揺るぎがたいほど強固な「常識」になっているのだ。

 

これ以外の世界をあなたは知らない。

 

いや、知ろうともしない。

 

なぜなら、知る必要がないからだ。

 

あなたが居心地が良いと感じている生活は、「これしかない」と考えているから。

 

会社中心の生活スタイルが一番の「常識」だと感じている。

 

なぜなら、あなたは・・・

 

  • 「会社で働く」しか「生きていく方法」がないと考えているから。
  • 「会社で働く」のが社会人として「当たり前」だから。
  • 「会社で働く」のが世の中の「良識」だから。
  • 「会社で働く」ことでしか「お金」を得る方法を知らないから。
  • 「会社で働く」のだから「会社以外の事」に目を向けてはいけないと考えているから。
  • 「会社で働く」ことで隣近所の「世間体」も良いから。

 

・・・この事実をあなたは理解しているか?

 

 

あなたは、会社の「奴隷」と化している事実を!

 

 

会社人間になったのも、サラリーマンになったのも、全部あなたの「選択と決断」の結果だ。

 

あなたが、今の「会社で働く」ことに「選択と決断」をし続ければするほど、あなたの「常識」の殻はより強固になり、外部の情報を遮断していく。

 

結果、あなたの人生の大半は「会社」で終わる。

 

人生は今や80年時代だ。

 

定年は60歳。残り20年もある。

 

その20年あなたはどうやって過ごす?

 

定年退職をすれば、あなたが毎月楽しみにしていた給料やボーナスはもうあなたの口座に振り込まれることもない。

 

遊びにいくのも体力的も厳しいだろう。

 

残りの人生で残されたお金は、退職金と年金。そして少しばかりの貯金だけ。

 

しかし、国から支給される「年金」も受給年齢がドンドン上がっている現実。

 

以前は、60歳だった受給年齢も今では65歳、そして70歳にしようとする国の方針。

 

あなたが毎月給料やボーナスで天引きされていた厚生年金のお金はムダになるかもしれない。 なぜなら、受給する前にこの世にはあなたは居ないかもしれないから。

 

最近、国が「働き方改革」と名付けて70歳まで雇用年齢を引き上げることを打ち出している。

 

この法案が通れば、年金受給年齢も間違いなく70歳に引き上げられる。

 

現在は、65歳まで雇用年齢を引き上げている。

 

60歳になった時点でこのまま退職するのか雇用を継続するのか選択ができる。

 

しかし、雇用を継続しても今まで貰っていた給料を貰えるわけではない。

 

高卒の初任給程度の給料しか貰えない。

 

役職がついていた人もヒラ扱いだ。

 

このままいけば、70歳になっても同じだろう。

 

ところで、70歳まで雇ってくれる会社にあなたは勤めているのだろうか?

 

おそらくだが、この制度を行っているのは大企業だけではないか? 資金的に余裕がない中小企業や零細企業では、雇用を確保するのは難しい。

 

もし、あなたが中小企業や零細企業に勤めているサラリーマンなら、この制度自体意味がない事になる。

 

そうなると、あなたは、年金が貰えるまでの10年間をどうやって生活するのだ?

 

そもそも、あなたは70歳まで働きたいと思うか?

 

70歳と言えば、あなたのお爺さんやお婆さんの年代ではないか?

 

そんな年齢まで働きたいと思うか?

 

私は全く思わない。

 

そんな生活は嫌だ。

 

 

しかし、その時は必ず来る。

 

 

あなたが生きていれば必ず来るのだ

 

 

その時になって、あなたは誰を責めることもでない。

 

親にも、奥さんにも、子供にもだ。

 

親は生きていいればだか・・・

 

なぜなら、サラリーマンという選択肢を選んだのは「あなた」だから。

 

正確には、その「選択と決断」をしたのは「過去」のあなただ。

 

今の自分は過去の自分が選択し決断した結果なのだ。

 

つまり、会社人間の生活を「選択と決断」したのは紛れもなく「あなた」という事。

 

将来起こるであろう現実を見てあなたはどう感じている?

 

今後どうしていこうと考えている?

 

いつか、このテーマの壁にあなたは必ずぶち当たる。

 

あなたが気づいた時が退職する直前では遅すぎるのだ。

 

決断するなら「今」しかない。

 

今の生活を全て断捨離して次のステージに向かう決断をするのだ。

 

しかし、今のあなたは決断できない。

 

このまま行くと、未来の「あなた」がが悲惨な事態になると頭では理解できてもだ。

 

なぜなら、現状の生活を捨て新しい事にチャレンジする事に得体のしれない「恐怖」を感じているからだ。

 

そう、得体の知れない「恐怖」が頭をよぎるのだ。

 

新しい事をチャレンジする事に・・・

 

だから、決断ができない。

 

なぜ、「恐怖」を感じるのか?

 

それは、あなたの現状の生活があなたにとっても、あなたの脳にとっても「居心地が良い」と感じているから。

 

長年積み上げてきたモノを捨てる勇気が出ないから。

 

あなたの「脳」が他の選択肢を選ばせないために・・・

 

それほど、今のあなたは自分の既成概念にがんじがらめの状態なのだ。

 

 

・・・ある話しをしよう。

 

私の中1の娘はバスケをしている。部活以外にクラブチームにも参加している。 小学生のミニバスの頃からだ。

 

ある時、ミニバス時代の娘と同期の女の子がバスケの試合でプレイするのを久しぶりに見た。

 

その子は負けず嫌いで足も速い。ゴール下でのドライブから繰り出すシュートは一級品だった。

 

そして、溢れんばかりの「バスケが大好き」というオーラが出まくっていた。

 

そう中年のおっさんには眩しいくらいキラキラしていたのだ。

 

しかし、今見ている試合でプレイしている彼女は昔の様な精彩が全くない。

 

プレイもどこか自信なさげ、1年生という事もあるかもだが、周りに気を使いながらプレイをしていた。

 

得意のドライブも全く見せない。

 

ドリブルしてもゴール前でパスを出し逃げてしまう。 自分からシュートに行く姿勢が全くないのだ。

 

試合後、久しぶりに彼女のお父さんに会い話しを聞いてみた。

 

どうも、ほとんど部活以外の練習はしていないとの事。

 

それなら、娘のいるクラブチームに入ったらどう?と誘ってみた。

 

お父さんも乗る気で、一度家族会議を開いて考えてみるとの事でその場を別れた。

 

昔の彼女のプレイを知っている私からしたらクラブチームに入ってくれたらすごい戦力になる。

 

彼女のキラキラしたプレイが見れると思い楽しみにしていた。

 

しばらくして、今度の木曜日にクラブチームの体験に行きますと娘にラインが届いた。

 

おぉ~!これは楽しみだ!!

 

と心底ワクワクしていた。

 

しかし、木曜日の当日、彼女はクラブチームの体験に来なかった。

 

なぜ、来なかったのか理由を娘から聞いた。

 

まず、彼女の中学校にはミニバス時代の友達が他に2人いる。 小学校時代人間関係で色々あったみたいだが、今では仲良くしているのだと。そこに1人だけ別のクラブチームに参加するのは気が引けてしまったのだという事。

 

もう一つが、今年から来た新しいコーチの存在だ。ご高齢の女性のコーチで昔はかなり指導力もあったらしい。その女コーチが今年から彼女の学校の外部コーチとして赴任してきた。

 

そのコーチに「クラブチームの体験に行きます」と彼女が伝えたところ、他のクラブチームに行く事は許さないと言われたらしい。 長い間懇々と説教をされたらしく彼女は泣きながら家に帰ってきたそうだ。

 

これが彼女が当日来なかった理由らしい。

 

私も又聞きなので真実は分からない。

 

しかし、体験に来なかったの事実である。

 

その話を聞いて、彼女を傷つける事になってしまって申し訳なかったとも考えた。

 

しかし、同時に「もっと違う世界があるのに・・・」と感じたのもまた事実である。

 

つまり、彼女は「自分の世界」から抜け出す事が出来なかったのだ。

 

いや、出来たのに諦めたのである。

 

他の人と違う事をやろうと思うと、必ず抵抗する事象が起こる。

 

なぜなのか理由は分からない。

 

彼女の場合もそうだ。

 

他の子とは違うクラブチームに行こうと一度は考え行動を起こそうとした。

 

しかし、同級生との人間関係やコーチの抵抗に合い、やっぱり無理だと考えてしまったのである。

 

小学校の時、あれだけ目をキラキラさせながらボールを追っていた彼女のプレイを見る事はもうないだろう。

 

このクラブチームに行くのか?行かないのか?

 

そこが、彼女のターニングポイントだったのだ。

 

大好きなバスケットボールをもっと上手くなりたいと思っていたのなら・・・

 

「決断の時」だったのである。

 

数々の抵抗勢力を乗り越えた先にある「新しい世界」。

 

「新しい世界」がある事を知っていれば、彼女はもう少し頑張れたのかもしれない。

 

しかし、その「新しい世界」はその抵抗を乗り越えた人だけでしか分からない世界なのである。

 

それを知らない彼女にとってそれはツライ現実としか感じなかったのであろう。

 

人生経験の少ない中1の女の子でも、「自分がしたい事」、「やりたい事」が出来ない位、それくらい「居心地が良い世界」の殻は厚いのだ。

 

ましてや、会社人間として何十年も過ごしているあなたにとっては何を言わんかやである。

 

しかし、あなたは、現状の生活になぜか疑問を抱いている。

 

何不自由のない生活しているのにだ。

 

なぜだ?

 

なぜなのか??

 

あなたの心のどこかに残る「くすぶり」

 

このままで、いいのだろうか???

 

という根拠のない不安感。

 

だから、私のブログにたどり着き、この記事を読んでいる。

 

あなたのは不安は、「将来」に対しての不安だ。

 

それは、間違いなく「お金」だ。

 

この世のこの時代では、「お金」がない事がどんなに苦しくて寂しい事なのか。

 

例えば、電気代やガス代、水道代などの光熱費。

 

仕事から帰り、家に近づくとカーテン越しにほんのり灯る部屋の明かりに安堵しつつ、玄関を開けると周りをパァ~と明るく照らしている照明の明かり。

 

一日の疲れを癒すために湯船に浸かるとたっぷりと入ったお湯があなたの体を温かく包み込む。

 

腹がペコペコになって食べる奥さんの手作りの晩御飯。

 

冷蔵庫でキンキンに冷えたビールをグラスに注ぎ空腹の胃袋をアルコールで満たす至福感。

 

湯気がたつ白飯に奥さんが手作りしてくれたおかずの数々。

 

今日の野球の結果が気になりテレビをつけて試合結果に一喜一憂する。

 

・・・よくある日常風景だ。

 

しかし、あなたの収入が断たれるとこの日常生活は送れなくなる。

 

払いたいけど、払うお金がない。

 

最初は少し待ってくれるが、次からは支払がないと電気もガスも水道も止められる現実。

 

その位払えるお金あって当然でしょ?

 

現実味がないよ。

 

・・・働き盛りのあなたには分からない世界だ。

 

しかし、あなたが退職して収入がなくなれば、この現実は「あなたの現実」になる。

 

この世界ではお金がなければ何もできない。

 

「人」として認められない。

 

存在価値すらない。

 

それがこの時代の現実・・・

 

「リアル」なのだ。

 

お金がなくなるという現実は、あなたが生きていれば遅かれ早かれあなたの身に必ず起こる現象だ。

 

この事実が起こらない様にするには・・・

 

 

どうしたらイイ?

 

 

それは、今のあなたの居心地が良いと感じる世界。

 

それは「まぼろし」だと考える事だ。

 

居心地が良い世界はあなたの長年の選択と決断で出来上がった世界だ。 今、あなたが、見たり感じたりしている世界それはあなたの「脳」が作りだした「幻想」なのだ。

 

あなたは、すごく小さな現実の中で毎日を過ごしている。

 

その事実にあなたが気づかない様に・・・

 

ところで、ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」という映画を観たことがあるだろうか?

 

シーヘブンという島で平和な日々を過ごすトゥルーマン。保険会社に勤め妻のメリルと幸せな生活を送っていた。

 

極々普通の生活だ。その中で一生懸命生きるトゥルーマン。

 

実は、トゥルーマンは生まれた時から彼の人生の全てを24時間撮影されていたのだ。

 

そう、彼の「生き様」の全てをリアリティ番組「トゥルーマン・ショー」として世界中に放送されていたのだ。

 

つまり、この番組を見ている世界中の人々は彼の生活の些細な出来事に至るまで全てを知っているのだ。

 

さらに、街の通行人も、毎日会う会社の同僚も、そして、自分の妻でさえも全て俳優が演じているのだ。

 

太陽、月や天候さえも全てセットで操作されている。

 

彼はそんな事を知らずに彼にとっての「リアル」な生活を送っていた。

 

しかし、ある時ある出来事がきっかけで彼は日常生活に不信感を募らせる。

 

そして彼は確信する。これは「作り物の世界」だと・・・

 

そして、彼はこの世界からの脱出を試みるのである。

 

 

・・・この映画を学生の時に映画館で観てかなりの衝撃を受けた。

 

観終わった後、自分の普段の生活も実は「作り物」ではないかと感じるくらいのリアリティのある映画だった。

 

この映画のストーリーを読んであなたは何か気づかないか?

 

今のあなたもこのトゥルーマンと同じだという事を・・・。

 

当然全世界で放映はされていないがw

 

しかし、あなたの「居心地が良い」世界は、まさにトゥルーマン・ショーの世界そのものだ。

 

あなたは、今の世界がなんだかおかしいと感じている。

 

トゥルーマンの様に不信に思っているはずだ。

 

 

・・・映画トゥルーマン・ショーの最後はこうだ。

 

彼は、「作り物の世界」から脱出する事を決心をする。

 

そして、ボートに乗り数々の困難を乗り越え、とうとうセットの壁にある扉にたどり着いた。

 

そして、彼は笑顔を見せながら「さよならのあいさつ」して、その扉を開けて外の世界に消えていく・・・

 

・・・トゥルーマンは、彼にとっては全く分からない世界に一歩足を踏み出したのである。

 

これから彼の身に何が起こるか分からないのに・・・

 

今の作り物の世界ではない「リアル」な世界へと。

 

あなたも、現状の生活に不満を感じ始めているのではないか?

 

もし、そうであるなら、あなたもトゥルーマンの様に次の世界に進まなければいけない。

 

あなたが、本当にお金を稼いで成功したいと思っているのなら、お金持ちになりたいと思うのなら、あなたは今ある「世界」を自分の手で破壊しないといけない。

 

その殻を突き破り、さらなるステージへ上がるのだ。

 

そこが出来ないといつまで経ってもあなたに「変化」が起こらないのだ。

 

この記事を読んでいるあなたは薄々気づいているのだ。

 

このままではいけないと・・・

 

だから、私が教えよう。「殻」を破るための唯一の方法を。

 

この時代に解決できる唯一の方法・・・

 

それは、ネットビジネスだ。

 

そして、ネットビジネスで成功するためにあなたが手に取らないといけない武器。

 

その武器こそ、「ライティング」である。

 

あなたは、ネットビジネスで成功するために「ライティング」を学びその技術を駆使して記事を書き続ける。

 

あなたが書く記事は、決してツールで作ってはいけない。外注に出した人の書いた記事をリライトした記事ではダメだ。あなたの本音、強い思いをたった1人の読者の為に伝える気持ちで書き上げるのだ。

 

あなたの渾身の思いで書きあげた1つの「記事」。

 

その「記事」を読んだ人の心は必ず「揺れる」のだ。とてつもない「衝撃」を受けるのだ。

 

なぜなら、あなたが命を削るくらいの気持ちで書いた記事だから。

 

そして、あなたの魂の籠った渾身の記事をあなたは書き続けるのだ。

 

どんなに時間がかかってもイイ。

 

とにかく、妥協することなく、一つ一つ記事を書きあげていく。

 

 

未来の「あなた」ために・・・

 

 

あなたの渾身の記事が20記事、30記事、50記事、100記事と出来あがったらどうなるだろう?

 

あなたの記事を読んだ人は、居ても立っても居られず、あなたの記事下のコメントに感想を書くに違いない。

 

さらに、あなたの記事を読んで自分の熱い思いを直接伝えたいと思ったなら、間違いなくあなたにメールをしてくるはずだ。

 

人の心を揺さぶる記事 。その記事は一生涯あなたの「資産」になる。

 

世界で唯一無二の「記事」なのだ。

 

奇をてらったノウハウでもない、Youtubeなどのプラットフォームに依存しているノウハウでもない、そんなモノに汗水たらして稼せいだお金を使う必要は全く無い。

 

そんなネットビジネスの表面を薄くスライスしただけのノウハウに踊らされてはいけない。

 

ここはとても大切な点だ。

 

あなたが書きあげた渾身の記事はお金では買えないほどの価値があるのだ。この財産となる記事を書きあげた後に起こる世界は今のあなたでは想像もできない世界が広がっているのである。

 

記事を書くだけでそんな事が本当に起こるのか?

 

あなたはそう感じているはずだ。

 

次のステージを知っている私は断言する。

 

結局、ネットビジネスで成功するには「記事」を書くしかない。

 

渾身の記事を書いた後は・・・

 

 

今のあなたに「この意味」が理解できるだろうか?

 

 

あなたが、何十年と掛けて作り上げた「常識」とか「良識」の殻をぶち破り、新しいステージに行く「決断」を出来るのか?出来ないのか?

 

今のあなたの「選択と決断」にかかっているのだ。

 

未来の自分は今の自分の「選択と決断」で決まるのだから。